本音と建前のお話

 最初の記事で言い忘れました。

 

私35歳なんです。

35歳でこんな青臭いこと言っちゃうんです。

なかなか好青年でしょ。笑笑(いったもん勝ち)

 

似たような思考の人がいたら絶対仲良くなりたいです。

 

 さて、タイトルで書いたお話を私の実体験から語ります。

 

 

僕は世間的に少しだけ知られている会社で働いています。

そしてその中で、結構がっつり真面目に働いてきました。

 

5年間で3回と年々出世しましたし、労組の会長もしました。

様々な委員会の委員になり、各種社内活動の幹事もいくつもしました。

何か頼まれたら秒で返事!秒で前向きな意見と回答!!

社畜の鑑とは私のことです。笑

 

ただ!

 

・・・。

 

・・・('v')

 

出世して中枢に近づけば近づくほどその内情は思ったよりもはるかに汚いものでした。

 

(薄々見えていたけれど、信じる勇気が大事なんだー!と思ってる甘ちゃんでした。我が心の在り方が大事だと。感謝が大事だと。私が前向きな思考を続け切ればそれが真実なのだと。自分へマヌーサをかけてましたね。)

 

・・・。

 

結論、ニンゲンってここまでなろうと思ったらなれちゃうんだなーって思いました。

 

みんな本当に本当に本当に責任責任責任責任ってそればっかり気にしていて、その責任を負わないためにいろいろな手段を持っているわけです。よくある、平たい話ですが。

 

問題が起きたら関係者を増やしまくってうやむやにするスキーム、とりあえず抑えどころと仲良くなってなんとかしてもらうメソッド、いろいろとありますけれども、私も自分に無理をしてそういうことを少ししてきました。

 

でもダメでした。残念なことですが、我慢強い私も我慢できなくなって、それからは本音と建て前を無視して本音だけで働いていたり。

 

なんらしか、責任~ってにおいがしたら「僕の責任です」とか率先して言っちゃうようにしたり。

 

まったく僕かかわってないのに「僕の責任ですわ」って。嫌みったらしく。いったり。

 

そんなことしてたら、上司たちからしても、コイツ大丈夫かってなりますね。俺たちの芝居演劇で成り立たせているこの大事な聖域を汚す奴は殺す!!って。人が神にあらがうなど許さん!(ロマサガ風)って。笑 

 

当たり前の話なんですけれどもね。

新入社員のころにわかるようなことなんでしょうけれど。

 

ずーーーーっと耐えていると、もうこちらも同様の人間になるしか道がないんですよ。そうならないと、会社にいられないのです。ルールとかじゃなくって、雰囲気を構成する一要素としての自覚の有無が決め手なのです。

 

でも、本来、それは嫌なことですよね。って。

 

立ち還ってしもうたわけですね。年甲斐もなく。

 

自分の美意識は守りたい。って。

 

じゃあどうするか!! 

 

答えはすぐに出ますね!あとはやるかやらないか!それだけ!

 

何を?やるの?って? 自力で立てるように修業しようぜ!

修業しながら収益基盤も築いて倒れないようにしようぜ!って。

 

そういうことを、やる!と決めたわけです。

 

僕の尊厳のラインって、それやっててまで生きてたいか?それやるくらいやったら死んだほうがマシなんちゃうん??ってところにありますね。

 

そこを突破して。

 

それは嫌だ!!!!!!!!!!!!!!!

 

って思える機会に出会えたからこそ、今果てしない行動力や活力があるわけです。怒りも苦しみも、不平も不満も、人はパワーに変えられるのですね。これは僕がしらなかったことです。ここまで深く潜り込める(?)ものなんだって。やる!ってことの優先順位が真っ先にきて、それ以外は思考の外に消えるんです。ほんとに!(うーん。なんか、何言ってるかわかんねーかも。笑)

 

だから、こうやって(あくまで僕にとって)いやなものを見たことは、きれいなものだけをみているよりも、価値があることだったです。ありがとう!!

 

メメントモリ?ですっけ? 死を意識すると、今日が輝く? そういう感覚に近いのかもしれません。精神的な死を前にして、それは嫌だって思わされた。思わせてくれた、今の会社に感謝をしなければなりません。嫌みとかじゃないんです。これは。

 

馬鹿正直に言ったら、嫌みにしか聞こえませんけど。笑

素直にそう思っているんですけどね。言っちゃダメなんですよねー。この社会って。

 

ではでは。今日はここまで。

 

ぼちぼち具体的な取り組み内容も日記に書きたいと思ふ。^-^