令和元年初日に思う

「明治」 「大正」 「昭和」 「平成」

 

普段僕たちが日常の会話で使うのはこのあたりなのだけれど、僕が鮮明に思い描ける時代というのもまあこのあたり。

 

でも、日本による元号というものは、古くは飛鳥時代からのものだということを意識しなおすと、普段そんな時代をイメージを全くしないからか、急にね、なんというか、途方もない時間の長さだなあと感じる。

 

ましてや、初代神武天皇に至っては2,600年以上前のことと思うと、本当に(あたりまえだけど)時間って太古から繋がってきているんだなあということがひしひしと感じられる、そんな令和元年5月1日です。

 

 

なんで僕がこうやってここでブログを書いているか?

 

 

そんな誰も気にならない疑問(笑)、その理由をここに書いてみる。

 

ふたつ、あるので、そのふたつを書いてみる。

 

 

1.早い話が、ほかの方々に憧れたから ですね。

 

ドラマティックに生きていない自分が、

ドラマティックに生きている他人に憧れたわけです。

 

僕も同じようになりたい!そして、絶対になれる!と思ったから。

 

絶対になれる!と思えば、それはもう適ったことと違いない。

 

で、気が早いのだけれど、なった時、振り返ってそれまでの過程が回覧できたら、僕自身もあの時は青かったなあとか、ばかだなあとか、そうやっていろいろと楽しめるだろうし、何よりほかの人が僕が歩んできた道を見れるってなると勇気になるかなって。

 

絶対に僕はドラマティックな道を歩める、だからブログを書く。逆説的ですけれど、どうでしょうか。変わっていますか?*^-^*

 

そんな理由から、書こうと思ったわけです。笑笑

 

 

2.会いたい人に会いたいから です。

 

似ているようで、ちょっと軸ズレした理由です。

 

一つ目のところに書いた通り、「あの人たち」みたいになりたい!

 

って思ったのが、わたしの出発点なのですが、何も持たないものがいきなりお近づきになっても僕はそれはそれで違うと思ったからです。

 

人間関係は対等です。

 

対等だからこそ、自分からギブしないといけません。

 

自分からギブしないっていうのは、その時点で対等でないのかなと。

 

ギブアンドギブとかギブアンドテイクとか言いますけど、僕はおんなじ意味だと思っています。

 

言葉を発する主体と言葉の矢印の方向がどちらかってだけの話で、基本的に与え合うことでしか成立しないと思います。

 

と、いうことで、(トイウコトデ?w) まあここは修業の場ってことです。笑

 

日々、経験や貢献を積み上げていった先に、僕のかなえられた目標の先に、望む未来があります。会いたい人にも会えるのです。

 

時期やタイミングは僕には選べません。だけど、僕は毎日その時へと近づいていきます。だから、もう運命的には適っているのです。

 

答え合わせができる日を楽しみに、日々近づくために、がんばります。