不動産投資は定量分析だけで足りるのか?
令和になりてから不動産投資をはじめましたまーしーです。
こんにちは。
不動産投資というものをはじめまして、思ったことで一番?大きいなって思うことがあるので、そちらについてかいてみたいとおもいます。
本日は「私が思った不動産投資と証券(株券)投資の見方の違い」について書いていきます。
(個人的には投資判断の根っこは同じやと思うています。不動産にかかわる人の投資判断の仕方と、証券投資する人の投資判断の偏りが単純に面白くって無邪気に書きます。良い悪いの話でもなければ、他意もありません。伏してご案内申し上げます。)
◇定量分析と定性分析
何事も、数字で判断することが大事です。
ただし、数字がすべてではありません。
「数字はうそをつかないけれど、数字がすべてじゃない」ですし、
こういう意識を確りもって投資判断をすることが大事やと思います。
(数字や図表をごかますことは容易ですが)
◇不動産投資家さんの分析割合と証券投資家の分析割合
不動産投資家さんの分析の仕方を見ていると、おおいなあと思うのが「定量要素」だけで投資判断しようとしている方が多いのではないか。ということです。
本人の主観では「数字も数字以外も見ている」けれど離見の見で自身を見直してみたら意外と定量要素9対定性要素1みたいなことがあり得るのではないでしょうか。
証券投資を行う場合には、定量要素は第一判断の可否のためにしか使いません。数字上いけるのでは?と思ってからが、本当の分析開始というところがあると思います。極端なことを申しても、定量分析50%を上回ることはないと思います。数字だけ見てても仕方ないのです。
いわば、定性要素の中にしかゆがみはありません。定量要素を裏付けるために定性要素が必要なんです。定量的に割安だと思われる理由を多角度多角度多角度多角度で見ていってはじめて市場価格との歪みが見つけられるわけです。
定量要素は100人の人が100人見られる内容ですから、優劣は生じえません。決算報告もそのタイミングでしかでないので、その間の潜在している企業の頑張りはわからないわけです。潜在と顕在。潜在している部分を己が見つけて、黙って買い、顕在化したら半分売る。とかやっていくのが証券投資(短期~中期)の方法です。よって、定性要素をしっかり見ます。
いま紹介したのは短期中期の投資法ですが、まーしーのように長期の時間軸の場合も同じです。むしろ長期の投資ほど定性要素が大事であると思います。個別的な要素、外部的な要素、見ようと思えばいくらでもあるので、その玉石混合の中で必要な情報だけを残して投資判断をします。
反面、不動産投資家さんと話してて、定量要素に重点を置く人が多い気がします。
◇なぜ?不動産投資家さんは定量分析を重視するのか。
まーしー的な結論を言えば「はやいものがち」要素が極めて高いことがあげられると思います。
株券は発行株式が1枚ということはありえませんが、不動産は1点だけということがあげられます。
あとは、逆説的な考え方ですが。
センミツといいますけれど、明らかにダメなものがすぐわかる。ということがもうひとつあると思います。
さて、もうひとつだけ言えば十分です。
「精錬された投資家は全部理解している」からです。
予測が建てられて、予測通りに行くのです。
値段見て、地図見て、周囲の相場、周囲の現状、修繕箇所、写真見て、修繕に必要なお金、ハザードマップ、人口動態見て、年齢層、今後10年後の見通し立てて、学校の統廃合みて、学校や工場みて、、、、、、、、、、etcetcetcetc、、、
ってのを先んじて想定しているから、パーン!って物件情報出た瞬間に一瞬で定性要素見終わるんですよ。本当はその場所までいって深々と定性要素見るべきですけれど、たぶん勘が働くので、熟練された人になってくるとみる必要すらないというwww
そうすると(逆説的ですが)定量要素よりの分析が重視されるようになります。瑕疵担保責任というのも定量分析に偏った判断をできる一助になっていますし。
あと、(そういう瞬時に勘を働かせて買える賢明な投資家は)乾坤一擲で投資する割合が少ないから、定性要素を確認するよりも、とにかく早く買い付けを入れることのメリットが上回ってくるわけです。
資金力ない投資家だと、怖いので。入念な定性分析をすると思うんですけど、そうしてる間に勘の効く資金力のある投資家が投資するということだと思います。
◇ 結論
1.将来的には、勘が効いて瞬時に資金投下できる不動産投資家になりたい
一度、そちら側にいけばほとんどの投資家を出し抜きやすい
(資金量や投資判断が”勘”によることが、大きな参入障壁になっている)
2.現況的には、やはり “百人一首„ だけでは戦うことができないので
弱者の戦略かと思うけれど定性分析重視の戦いをする
凹みの理由に気づき、その凹みを修復できる力をつけることが大事
例えば、土地安く買って新築を計画するにしても、部材一つの良し悪し、配置の良し悪しなど、施主としてきちんと理解できるようにすることが大事であると思っている。
急がば回れというが、なにも急がば回っていなくて至極当然のことであるように思う。かじ取りできぬのに、なぜ大海に船を出そうとするのか。死にに行くようなものだから。小さくこけまくって、危ないところを理解した方がいいに決まっている。
◇ おまけ
私には過ぎた話であるけれど。主要駅徒歩2分の接道していない土地6筆を約800平米バルク買いして新築アパートを建てられる構想があって、(JRの持ってる更地だけ売却価格返答待ち)土地の取得までは見通しがついた。ということがありました。
こうやってああだこうだ「できるできないでもできるかも」みたいな話を侃々諤々しているときが一番興奮する。「ふつーできひんやろ」の中にしかお宝は残っていないから、常にそうやって「あかんやろたぶん」と向き合って仕事をしていきたい。
余談ですけれど、戦中戦後ってごっちゃごちゃしてて、お寺さんがかわいそうな人に土地を貸してあげてあなたそこに家を建ててすみなさい、、みたいな話とかたっくさんあったみたいです。しかもね!土地の境界を気にせずに隣の土地の人のところにまたがって家建ててたりとか。構図と地図と違ってたりとか。鉄道会社の土地に建ててたりとか。そういう日常では接することのできない世界を垣間見れただけでよかったよね!楽しいすぎる!
いろいろしらんだことを知っていけばいくほどに、潜在しているチャンスを顕在化させられるようになると思うのです。
だから、ボロ物件を買って修繕しようと思ったんです。
タイトルから逸脱して変なところに着地するのはいつものことです。
ではでは~